ここでは大島紬の起源、歴史、製造工程、種類などを解説しています。
大島紬の特徴
大島紬の定義は
平織りとは、経(たて)糸と緯(よこ)糸を交互に織っていく組織のことで、比較的ポピュラーな織り方です。
絹100%なので、織るときに「きゅっきゅっ」と音がします!
こうした大島紬の特徴は
- 独特の渋みと色合い
- 軽くて着崩れしにくい
旅行やお稽古に適した、風格あるおしゃれ着です。
世界三大織物
世界には様々な種類の織物が織られていますが その中で最も優れている織物が フランスのゴブラン織り、ペルシャ絨毯、そして大島紬です。
1300年の歴史を持つ大島紬は世界的に見ても最高峰の品質なのです。
親子三代、大島紬
大島紬は昔から「親子三代、大島紬」と謳われてきました。
- 一代目はお母さん
- 二代目は娘さん、お母さんの着た大島紬を裏返して着ます
- 三代目はお孫さん、着物をおくるみに仕立て直して赤ちゃんの頃から肌触りの良いものを触れさせます
え?裏返して?とお思いでしょうが、それにはこんな理由が。
普通の着物は裏表があるのですが、それらは後染めしたものだからです。
後染めとは生地を織ってからその上に染色したり絵を描いたりする技法のこと。 大島紬は先染め、糸を先に染めてから織っていき 柄や絵を現していきます。
なので、大島紬は裏表がなく 三代先、約150~200年まで着られる丈夫な織物なのです。
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大島紬の歴史
大島紬の起源は諸説あります。
農民が、草木染の着物を田に忘れて翌日見てみたら質のいい黒色に染まっていたとか
草木染めを着た人が田んぼに落ちて染まったとか…いずれにしても偶然がきっかけのようです。
年 | 紬の歴史 |
---|---|
享保5年 | 「絣」が奄美の文献に現れる 薩摩藩の役人以下のも者へ「絣着用禁止令」が出る その後、江戸時代は絣を薩摩藩への上納品として生産 |
幕末 | この頃より泥染めあるいはテーチ木による植物染めが記録に登場 |
明治初期 | 大島紬が「商品」として生産されるように。当時は地場産(じばさん)の手紡糸(真綿)をイザリ機で織る (現在の結城紬と同じ方法) |
明治21年 | 永江伊栄温(ながえ いさお)氏が鹿児島市に紬工場を開設 鹿児島における大島紬の基礎となる。 |
明治30年頃 | 高機で織られるようになる。これにより能率が飛躍的に向上。 |
明治40年頃 | 永江伊栄温(ながえ いさお)氏が締織を完成させる。 |
大正期 | 高機、締織の登場でほぼ今日に近い姿の大島紬ができる。二度の不況にも関わらず、徐々に発展の兆しが見える。 |
昭和2年 | 356,000余反という戦時最高の生産反数を示し、第二次世界大戦の開戦まで20~30万反の生産を維持し続ける。 “泥藍大島紬”を開発。 |
昭和18年 | 大戦中は技術保持の生産 |
昭和20年 | 空襲により生産数が0に |
昭和31年 | 科学染料を使用し始める。 |
昭和50年 | 伝統的工芸品に指定 年間500億(奄美群島280億)の生産額に達する |
大島紬をもっと詳しく!→「大島紬ができるまで」